『その人のために涙を流した人事異動』
今回は、コンサルティングの話題から離れ、官業在職中に経験したエピソード。官民を問わない『秘書業務』と『人事異動』にまつわるアレコレについてお話ししましょう。
秘書だった時代
代表紹介の記載にもあるとおり、私は23歳から60歳まで37年間、公務員を勤めました。
昨年、ある手続きで古巣の人事部門から職歴証明を取り寄せたところ、公務在職中15回もの人事異動を経験していたことがわかり、その多さに驚かされたものです。
初めての人事異動は、新規採用から6年後。慣れ親しんだ広報課を離れ、総務部門へ移り秘書になりました。
区長と2名の助役(今は副区長と言います)に対する秘書業務を4人で担う仕事です。男性の係長と女性の秘書2名、そして私というチーム構成でした。
私は日程管理に加えて、電話や来客の取り継ぎ、挨拶文づくり、そして交際費の支出と金庫番を任されます。
秘書室には本当に古めかしい金庫があって、ダイヤルと鍵が合わなければ決して開かない代物。係長と私で金庫番を務めていました。
ボスと私
金庫には、公費である交際費の他に、私がメインでお世話をしていたY助役の私費も預かっていました。ちなみに秘書の仲間うちで、Y助役のあだ名は『ブルドッグ』です。
求めに応じてそこから支払いをするうちに段々と信用され、Y助役から分厚い革製の財布を預かるようになります。その頃、私はY助役から『やっちゃん』と呼ばれるようになっていました。
財布を預かってからというもの、5時以降の夜の街歩きが増えます。方々で支払いをしながら家まで送り届けるということを時間外勤務の日課とするようになりました。
同期の面々が飲んでいた居酒屋に、助役のお供で入店し、暫く一緒に飲んでいたかと思えば、同期の分もまとめて助役に代わって支払い、風のように去っていった… 今も同期会の語り草ですが、言いたいことは、勤務時間外も仕事は続き、私的な生活にも立ち入って金銭管理、健康管理まで行うのが秘書だったということです。
人事異動とボスの早逝
Y助役は達筆で、私が代わりに書いた香典袋の文字が気に入らないと、秘書を気遣って自室のドアを閉め自ら墨を摺って筆耕してしまうような優しい通人でした。
そんな愛すべきY助役は、私が秘書の年季明け3年で他の部門へ人事異動となったその年の夏、執務室で倒れそのまま帰らぬ人となったのです。
私は滅多に一人では飲まないのですが、その夜は、Y助役が行きつけだった新橋の小料理屋へポートレイトを懐に忍ばせ一人で伺いました。
そして、遺影に見立てたその写真の前で女将さんと一緒に泣きながら飲んだことを覚えていいます。
人事異動さえなければ私が秘書を続けていたはず。財布と健康を管理して夜の街にお供していたら、今も永らえて一緒に飲んだろうに…。悔やまれてならない痛恨の人事異動でした。