『その提案書、大丈夫? ❸ 明解さに潜む危うさ』
このブログ過去9回分を一気にご覧になった方から、内容を高くご評価いただきました。私たいへん気を良くしてしております。
そこで10回目となる今回も、出し惜しみせず、歯に絹着せず考察していきます。事業者選考あれこれシリーズ、第三回は明解さ故に陥りやすい罠についてです。
自信作という落とし穴
勝利をつかむ提案書は、わかりやすく意欲的に、行政が提起した課題に向けて真っ直ぐ明快に解決策を示しているものです。
社内コンペや経営層の承認を受けるというハードルを勝ち抜いた自信作。
私の経験でも、自分たち公務員では作れないレベルの仕上がりに魅了されることが多かったと記憶しています。
だがしかし…。提案側の問題は、取りも直さず自信作から生まれる『慢心』です。
外部選考委員を意識するとは?
シリーズ❶でお話ししたように、行政が民間と癒着しかねない事業者選考手続きでは、行政内部だけでなく、外部の人材を交えて意思決定する自動制御装置が働いています。
外部人材には、大学などの高等教育機関の学識経験者が活用される傾向が強く、プレゼンテーションを数多く経験している方も多くおられました。
ある文化施設の指定管理事業提案を審議する場で選考委員を務めたことがあります。
大学教授や専門家など複数の外部選考委員が、文化創造や発信、担い手の育成を図る視点について議論されました。
『行政の選考委員が推す事業者は施設管理には長けていても、文化芸術の今日的課題を深く捉える視点が欠けていて底が浅く頼りなく映る』そんな議論を目の当たりにしたことがあります。
提案書に欲しいアカデミズム
良い提案書、企画書ができたと考える事業者の皆様。
なんでも出来ます的な明解な提案書ほど危険性をはらんでいます。自治体へ提出する前にまず一呼吸おいて、それが学究的な観点から見ても十分な内容なのか読み返すことををお勧めします。
提案書のズバッとした明快さは、経済性、合理性に叶い、一見心地よく現場の公務員を魅了しますが、キャスティングボウトを握る学識の皆さんの危機意識や深い課題認識の観点からどのように映るのか…。
コンペの場で置き去りにされがちなアカデミックな視点こそが、根本的な課題解決に肉薄する可能性があることを提案者側はもっと理解する必要があるのです。
そして、現代の問題点や将来課題の予測と不確実さを正直に丁寧に記載し、自治体とともにそれを乗り越えようとする姿勢を示す。
この姿勢は、必ずや事業者の見識と課題認識の深さをアピールする良い効果を生むことでしょう。