『公務員の出世ストーリー』 〜官業シリーズ⑤

地方自治体や公務員とのお仕事をめざす皆様に向けて有益な情報をお届けする官業シリーズ第5回は、サラリーマンなら誰もが関心のある出世についてです。

公務員ではない多くの皆さんは、こう思っておられませんか。「出世の意欲が高い公務員なんて、いないでしょう?」

いえいえ、公務員だって出世したいんです。さ、今回も、元気に行ってみましょう!

まずは公務員になるところから

合格しても面接で採用されないまま1年が過ぎると失効!

私のケースが一般的かどうか、自信はありませんが、ご披露します。まずは入社試験に相当する公務員採用選考から。

大学には一浪して入学(19歳)、4年生の夏(22歳)に東京特別区、つまり23区共同の人事委員会が行う選考試験に合格しました。

合格者は、23区および事務組合などの特別区に関連する自治組織の中から採用希望先を複数選びます。大井競馬を経営する『特別区競馬組合』なんてのもあるんですよ!

その中から面接の声がかかります。私は第一希望の自治体から声がかかり、面接のうえで採用が決まりました。

面接時、今でも忘れられない合否を分けた質問は、「地方公務員法に規定された『全体の奉仕者』とはどういうことか」。目の覚める?ような私の答えは、また次の機会に。

さて翌年、無事に大学を年で卒業すると同時に公務員となり、兼業禁止(詳細『官業シリーズ②』参照)の地方公務員人生が始まりました。

スタートライン

パソコンはまだない官業 IC機器といえば電卓だけ!

新規採用時(23歳)は『主事』という職層、要するにヒラ社員を命じられます。

血気にはやる私は、すぐに管理職をめざします。

当時の説明では、「9年めに管理職に昇任する選考試験を受験できる。1発で合格すれば最短で30代前半で課長になれるよ。」と言われました。

民間企業で華々しく活躍する大学の同窓も多いし、まあ、安月給ながらここで頑張るしかないなと心に決めます。ちなみに、当時人気のM不動産の大卒初任給を100とすると、23区の初任給は80弱でした。

同期で採用された連中とは、男女とも仲は良かったですね。最近のドラマに例えるのも気がひけるので、あえて言えば、柴門ふみの『同級生』を公務の世界で実写化しているような感じ。

でも、これから管理職をめざすうえでは、競争関係でもあるんだなと思っていました。

絶望の昇格昇任前夜

さて、新規採用から9年後の1990年(32歳)、私はまだヒラ秘書。2か所めとなった職場の総務課秘書係も3年めに入り、見通しのきかない将来に向かってもがいていました。

OMG!と心に叫ぶ日々は続きました‼️

約束と信じていた9年めの管理職試験など夢の彼方で、年を追うごとに制度が改正され遠のいていくばかり。主事と係長の間に主任主事などという訳のわからない職層が増えて、それを経なければ係長にすらなれない事態です。

私の勤務した自治体では、この主任主事の導入時に、年長者(40歳越え)から順番に任命する年功序列制が労使合意されてしまい、そのことが、出世意欲ある者たちの絶望感を募らせていきます。

私は、秘書業務を終えて帰宅すると、食卓で履歴書と志望動機を書く毎日でした。この競争すらできない閉鎖社会から、1日も早く脱出したい一心。ストレスフルでした。

長男は幼少期で長女も生まれたころですから、家計負担も増え、妻は複雑な心境で私のあがきを見守っていたと思います。

その後、保健医療を管轄する部門で、私の職業人生に光が当たりはじめます。

これでイケる‼️と感じた頃

私は、その職場で法規や予算決算、国や東京都の補助金獲得など、地味ながら重要な仕事を任されましたが、どこかで物足りなさを感じていました。重責とはいえ、これは経験があれば誰でもできる仕事じゃないのか…

そこで手始めに、他の職員が手を出そうとしない調整や企画が難しい仕事を進んで担い、新しい課題の掘り起こしにも時間を割くように行動しました。

登りはじめたことには 理由がありました

それらを習慣化すると、どうしても新しい仕事を手がけたくなっていきます。

新しい感染症の予防のために市民啓発プロジェクトを広告代理店と組んで立ち上げたり、ソフトウエアのない時代に、独学で習得したプログラミング言語を使って予算決算事務をシステム化するなど、忙しさは面白さに変わっていきます。

こうした姿勢と業績が評価され、年齢順昇格ルールを破る第一号として最年少で主任主事(34歳)に昇格しました。

そこからは、徐々に弾みがつきます。主任主事5年を経て係長(39歳)になると、行政改革と業務改革という二つのギョウカクで活躍し、4年後には課長(43歳)に昇任します。

出世ってなんだったんだろう?

企業で活躍してきた方々にも、私のこの出世への闘いはご理解いただけると思います。ともかく、不条理で抑圧された長い闇の時は、ようやく終わりを告げ、私の前には未来が広がりました。

新規採用から数えて20年、遅過ぎる目標達成ではありましたが…。

出世がしたくてひた走った その先にあったもの…

その後、私は課長を8年務めたのち、最短ルートで部長(51歳)に昇任、そこから60歳まで9年間部長をつとめて退職し、若い時の夢である民間転職を果たしました。

こうして文字にしてしまうと、短くて味気ないですが、、決して順風満帆とは言い難く波瀾万丈のドラマ性ある役人出世ストーリーだったと思います。

「ああ、公務員も同じなんだな。出世したい奴っているんだな」と、共感いただければ幸いです。

『出世』街道の道は無限にある‼️

さて、出世という言葉、辞書で調べると、こうあります。

『社会的に高い身分、地位を得ること』『人に知られる良い地位、身分になること』

私は大学生の頃から、「組織に入るからにはトップを目指す」と心に決めていたので、最初から出世欲がありました。

今回のブログで、私自身の昇格・昇任ストーリーを辿った中で気づいたことは、出世を遂げた結果で得たことの多さでした。若い頃から出世することに関心があっても、そのことには気づきませんでした。

出世自体が目的ではなくなったその先にあったもの…。ブログを書いてきて至った私なりの今号の結論です。

私のストーリーがテーマに沿った良い事例であったかは、皆さんの判断に委ねたいと思います。

蛇足ながら・・・

最後に、地方自治体で管理職を担うことは『社会的に高い地位』に就くことなのかどうか問題提起して、シリーズ第5回を閉じます。

私はずっと、自分の職業に対して、コンプレックスを抱いてきました。

公務員? 信じられなーい!もったいなーい!

それは、さまざまなシーンで「ヤスダさんが公務員だなんて(だったなんて)もったいない」的な言い方をされてきたからです。今でも、私の心の傷となって残っています。

せっかく難関の公務員選考試験に合格したのに、人に奉仕することを職業に定めたのに。役人、公務員、自治体職員になることが、程度の差こそあれ、そういう目で見られていることはショックなことです。

「なることがもったいない」と言われる程度の職業で管理職になることは、『社会的に高い身分や地位』と言えるのか?

今回のパートナーシップ・コンサルタンツのブログ、官業シリーズ第5回『公務員の出世』については、この問いかけを皆さんに投げかけて、お開きにしたいと思います。

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『公務員の出世ストーリー』 〜官業シリーズ⑤” に対して2件のコメントがあります。

  1. やす より:

    課長職におつきになっていた時に安田さんにお会いできたのは本当に僕にとって最高のお土産です。しかし、やっぱり頑張る方だったのですね。それを表に出さないところが素晴らしい!
    人と違うことで自分ができそうなモノを見つけそして挑戦し、外部から評価してもらうというプロセスは世の東西を問わず同じなのだと再認識できて、心が少し楽になりました。
    ありがとうございっ舛

    1. MASYAS より:

      長いブログを読んでくださり感謝いたします!今回、公務時代を思い出しながら年次を追って書いていて、『あぁ、そういうことだったんだ』と気づかされました。面白いものですね。
      私が外国人教育に関心を持ち関係してこられたのは、柳澤さんと知り合ったからです。大変な産みの苦しみだったと思いますが、楽しく充実して新しいことに着手し、実現はしませんでしたが、プランニングまではやり遂げましたよね。私の勲章の時代でもありますよ。

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