コーディネートサンプル集❹ 🕊平和イベント🪖
不幸な戦争の歴史と今も続く戦火を学び、いつまでも続く平和な社会を望むことは、私たち人類にとって、すべてに優先する永久普遍のテーマです。
少々大げさな書き出しですが、それだけ私自身の思いも強く、このイベントの実現には力を注ぎました。
国際的日本人画家を活用した展示企画。難航する主催自治体との合意形成。
コーディネートサンプルの第4弾は、その間を調整して実現した平和啓発イベントです。
本ブログは、本年5月に亡くなられたM画伯への追悼として掲載いたします。
M画伯との出会い
2017年5月のことです。A市を通じて関係のできた文化芸術系社団法人Cの代表から、ある画家の紹介を受けました。
それは、若くしてフランスへ渡って晩年のピカソに師事し、活動拠点を地中海の島におきながら、世界を舞台に活躍しているM画伯。
日仏友好の架け橋としても画家活動を続け、国際的評価、手がけた業績の数々から明らかなように、我が国屈指のマエストロと言える画家です。
フランスでは、政府から文化芸術勲章、レジオン・ドヌール勲章を受章し、『フランスの至宝』と呼ばれています。
私のようなものがお近づきになって良いものか?と、腰がひけたのは一瞬、その明るく分け隔てなく人懐こい性格にみるみるうちに魅了されていきます。
主催者からの意外な反応
さて、A市では、終戦の日の関連行事として、毎年恒例の平和啓発イベントが迫っていました。法人Cの代表は、お世話になっているA市への貢献意欲から、このイベントへの協力を発案し申し出ます。
法人Cの提案は、唯一の被爆国の国民として、世界平和の思いを込めて創作を続けているM画伯との共同企画。平和を祈願し、平和を考えるきっかけにしたいと願うM画伯の作品展示がメインです。
当然、企画提案はスムーズに採用されるものと法人C代表は考えていました。一方、A市は今までどおりのトーンで代理店への外注による平和イベントを実行しようと考えていました。
法人Cから、この時点でヘルプの要請が来ます。
両者、まじめに平和イベントを考えた末のこと。主催者、提案者、いずれにも非はありません。
しかし、普通はお願いしても実現しないビッグネームM画伯の作品展示です。ここは、平和を希求する自治体A市のシティプライドのためにも、いつもどおりではなく、法人Cの企画が実現するため動くことを決断します。
そして作品は展示された
A市の平和事業担当とその上司には、唯一無二とも言える画伯の業績と国際的な評価を丁寧に説明します。また、今回の展示に寄せる画伯の強い思いを伝えました。
M画伯の作品は、制作に14年の歳月を要し、今回の展示で初めて世界にお披露目する全長10メートルの大作が含まれています。
世界初の作品公開の地がA市となること、A市の平和イベントに対するM画伯からの高い評価など、自治体のプライドをくすぐる説明にも心がけました。
ようやく説得に成功、実現へ向けて動き出します。
しかし、一難去ってまた一難。次は、美術館を持たない自治体の弱さが露呈します。
どこにそれだけの大きさの美術品を掲出できるか、事故の補償や警備などの安全対策はどうするか(著名画家作品の賠償責任はA市未経験)などで揉めることになりました。
展示場所の候補、安全策の提案は、なかなか市側から出てきません。開催初日は刻々と近づいていきました。
法人C代表と一緒に複数の市立施設を実地に見て検討し、最終的には法人Cのプランが採用されます。なんと、M画伯のご了解を得て、最新公共施設の吹き抜けホールで大作を天井から吊り下げ、下から見上げるという鑑賞法を編み出しました。
保険と警備については、最後までA市から明確化されなかったため、事業者側が負担することで決着。
こう着状態の中で、M画伯と法人Cが実現に寄せる強い思いを引き出した成果です。
こうして終戦記念の日まで、平和意識の啓発をめざすM画伯作品展示イベントは、好評のうちに閉幕。期間中は多くのマスコミ取材を受ける成果も得られました。
企画提案の主体との交流、我が国屈指の画伯との出会いが、平和イベントを成功に導いたのです。
成功の鍵は、自治体の経験もさることながら、幅広く多様な主体とのお付き合いを欠かさず、良い関係を続けてきたことにつきます。
合掌 M画伯へ
特にこのイベントは、M画伯がいなくては成り立ちませんでした。
そのM画伯は、今年の5月、帰らぬ人となってしまったのです。
ここに、心から哀悼の意を捧げ、永くその功績を語り継ぐことを心に誓います。
M画伯、安らかにお眠りください。天国でも、どうかたくさんの作品を。合掌