『目的より手段がお好き?』 〜官業シリーズ⑥ 📙創作寓話付き📘

地方自治体や公務員とのお仕事をめざす皆様に向けて有益な情報をお届けする官業シリーズ第6回は、ちょっと難しい『手段を目的化する人』についてです。

公務員にも…というか公務員だからこそ多い、手段の達成に命を燃やし目的を見失ってしまう、そんな人々の話。

今回は少し理屈っぽいですが、さ、元気に行ってみましょう!

ところで手段と目的って何よ?

読んで字の如しですが、私は、目的→目標→手段という順があって、それぞれ別モノであると思っています。

目的?手段?どっち?

例えば、会社の「存在目標」って言いませんよね。それをいうなら『存在目的』です。また、「到達目的」って言いません。それは「到達目標」です。

目的とは、目あて。達成されるべき理想の姿、つまり最終ゴールと言い換えられるでしょう。辞書によれば、「実現したい状態として意図し、行動を方向づけるもの」とあります。

これに対して目標は、目じるしです。目的達成に向けて立てる里程標、つまり段階的で過程的なゴールと言えるでしょう。辞書には、「行動を進めるにあたって、到達・達成を目指す水準」とあります。

目的を実現する途中経過として目標があり、目標に到達する道具として手段がありますその手段とは、目標を実現するために生まれた技術的な所作、お作法、取説のたぐいですね。

さて、理屈っぽいのはここまで。ですが、ここを押さえていただかないとオチが分かりません。よろしくご理解のほどお願い申し上げます。(なんか政治家の挨拶チック)

では、もう少し単純化して説明しましょうか。

こんな寓話で 目的➡︎目標➡︎手段

例えば、ファンタジーの世界で説明しましょう。

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むかし、むかし、あるところに…

頭の良い弓の使い手である女性兵士クロエは、隣国との争いが絶えない王国の国民に幸せをもたらしたいと考えていました。これが目的ですね。

この目的を達成しようとするとき、道はいろいろ、つまり目標は時と場合と人によりけりです。

「国王を倒して自分が取って代わろう」というのも目標。「国王は善人だから、能力を認められて国王に助言できる立場になってやろう」と思うのも目標です。

わたしはクロエ 決して人に弓は向けない❗️

さて、クロエは弓の名手な上に、頭のキレる人格者で人望も厚い兵士でした。ジャンヌダルクのように兵を率いれば、実力行使も夢ではありません。

しかし、クロエは知力で国王に認められることを目標に選びました。

そのために、クロエは現実に何をするか考えます。これこそが目標に到達する手段です。

クロエは、国王の軍隊に損害を与えず、外交で隣国との争いが起こらない道を手段に選びました。さて、その活躍やいかに⁉️

And she lived happily armed her intelligence

知力に優れるクロエは、ときに交渉の場で意識的に弓の腕前を披露し、いざとなればの抑止力をアピール。諸外国との仲を上手に取り結び、双方に利益となるような外交を展開します。

こうしてクロエは、国王を助け、国民が安全に暮らせる豊かな国づくりを進めたのでした。

クロエはみずから選んだ外交の力(手段)で、国王の信頼を得て政治に参加し(目標)、そして国民の幸せを実現(目的)したのです。

まっすぐに進んだ彼女の先に待ち受けていたのは、王子との結婚か、隣国での女王就任か、はたまた…

それはまた別の話。

 〜 PSC代表創作寓話『クロエの選択』 THE END

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コストカッターは手段を目的化する

目的を達成する上で、手段と目標も重要であるということは、この寓話からもお分かりいただけたと思います。

しかしクロエは、外交を上手くこなし(手段)、国王の信頼を得て助言できる立場を得る(目標)ということを目的化するのではなく、その視線は、常に国民の幸福実現という目的からブレることはなかったのです。

かえって、わかりにくくなっちゃいましたか?

さて本題に戻って、いよいよ手段を目的化して、はばかることないコストカッターの話です。

コストカッターはマネーストッカーであることが多い

あなたの周りにも絶対いますね。人間の遺伝子に刷り込まれているのかしらんと思うことしばしばです。

公務の時代を思い返して、官民いずれにもいる人物像の代表例を紹介します。

【コストカッター】

コストカッターというのは、文字どおりで財政支出の削減を行う人のことです。企業にもいますよね。

問題なのは、節約、削減、縮減、縮小、廃止、圧縮… しか行わず、本来の目的(市民やクライアントの幸せ)をどこかにおき忘れたように行動する人がいることです。

地方自治体でも、行財政改革を背景にして、こういったコストカッター族がもてはやされてから長い時が過ぎました。

その嵐が吹き荒れはじめたのは、高度経済成長が終わり低成長経済期に突入した1970年代を過ぎてから。まさに私が公務員になった1981年、『行政改革(ぎょうかく)』という言葉が新聞紙面に踊った土光臨調(第二次臨時行政調査会)の開始がその先ぶれでした。

増税なき財政再建を旗印として、現在のJR、NTT、JTを産んだ官業民営化などの成果をあげた土光臨調。国家財政の破綻回避を主眼としていました。

景気に右往左往するのは官民問わず同じ

一方、わたしの勤めた東京港区では、異常な地価高騰(第一期バブル経済)に伴う土地売却が契機となり、港区から広い土地を求めて転出する人が増え、1980年台後半には20万人台から14万人台へ人口が急減します。にもかかわらず、税収だけは安定しているという皮肉な事態が起き、コストカット全盛時代はまだ到来しません。

コストカッターが幅を効かせる時代になったのは、さしもの港区も空前の税収の減少に直面した1995年、つづいてITバブル崩壊の2000年代の前半、リーマンショックの2008年と、立て続けの経済危機が日本を覆ってのことです。

コストカッターは、どこの自治体でも重宝がられました。その背景には、経済危機の時には、手段である節約や縮減が目的化してしまうという宿命があります。

しかし、『コストカットの目的化』は負のレガシーにほかなりません。今も行政組織に根づき、民間企業にならった経費節減と費用対効果の観点から市民への行政サービスが査定されています。

コストカットから「あるべき姿」の追求へ

目的、信念、理想こそが 組織の明日を決める

多くの自治体ではコストカット全盛ですが、その中に時おりキラリと光を放つ自治体が現れます。

そうした自治体には、コストカッターの反対に直面しても、本来の行政目的を臆面もなく掲げることのできる人の存在があり、その主張を取り立てる経営層がいます。

問題は、首長など経営層までコストカッターになってしまった自治体ですね。あたかも、コストカットが意義ある目的と勘違いしている経営層による組織経営は、悲劇以外の何ものでもありません。

コストカットという手段が目的化してしまう時代が長く続けば、本来の目的を主張する声は小さくなり、挑戦意欲は減退することでしょう。

時うつり技術や社会が変われば、手段や目標は時々で変化していくもの。一方、目的は、時に応じて移ろうことなく、目標と手段を方向づけ、組織の行く末を決定づける役割を果たしていきます。

自治体も企業もそのほかの法人、団体も、どのように苦しい経営状態となっても、本来あるべき姿を見失わない矜持と信念を持って、組織経営にあたりたい。パートナーシップ・コンサルタンツが、民間事業者の皆さんとの協働にあたって、常に意識していることの一つです。

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